主演:向井理×上戸彩

【障害者の社会復帰に一生を捧げた伝説の医師。その波乱の人生を描いた物語】

皆さんは「中村裕」という人物をご存知でしょうか。

大分県別府市出身。日本の医学者・整形外科医であり、日本のパラリンピックの父と呼ばれる人物です。

1960年当時、日本での身体障害者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」と言われていた時代でした。
そのなかで英国では、身体障害者が驚異的な割合で社会復帰をしていました。

「何か特別な手術などが行われているのでは」と調査のため、英国の病院へ送られた中村氏。
しかし、手術などの治療方法は日本と全く変わらなかったのです。
そこでは障害者がリハビリテーションの一環としてスポーツをしており、さらには社会全体で受け入るシステムが存在しました。強い衝撃を受けたのです。

帰国後すぐに障害者スポーツの普及を目的とし、第1回大分県身体障害者体育大会が開催されました。
「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けました。
そこで、地方の活動ではなく国際大会を開催しボトムアップではなく、トップダウンでの普及の必要を痛感するのです。

1964年、東京パラリンピック開催に奔走し日本人選手団団長を務めました。
しかし、日本の参加者は施設や病院暮らしの「患者」、それに対して西欧諸国の「アスリート」では試合になるはずもありませんでした。
それ以上にショックだったのは大会期間中、西欧諸国の参加者は、自分でタクシーを呼び銀座へショッピングに出かけるなど一人の自立した人間として生き生きとしている姿でした。
日本人参加者は、閉会式の際中村氏に「働く場所を作ってほしい」と懇願しました。

日本に初めて車いすバスケットボールを紹介し、翌1965年「保護より働く機会を」をモットーに「太陽の家」を設立。
社会に対しては「世に心身障害者はあっても仕事の障害はありえない。太陽の家の社員は、被護者ではなく労働者であり、後援者は投資者である」と啓蒙。
オムロン、ソニー、ホンダ、三菱商事、デンソー、富士通エフサス等の企業と共同出資会社をつくり多くの重度障害者を雇用しました。

1975年には、障害者自身へのスポーツのプロモーションと障害者の能力を一般の方に見てもらうことを目的とし、誰でも気軽に「やしの木でも開催できる大会」を理念に第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会を開催しました。
この大会は現在のアジアパラへと継承し、継続されています。

そして、1981年の第1回大分国際車いすマラソン大会を成功に導いたのです。
マラソンへ車いす使用者への参加を求めたが、「マラソンは2本の足で走るもの」と受け入れられなかったことを受け開催したものであります。
これを中村氏は「不本意な開催」と晩年まで語っています。

そんな中村氏の生涯が、NHK総合テレビにてスペシャルドラマ「太陽を愛したひと~1964 あの日のパラリンピック~」という形で放送されます。
ぜひご覧下さい。

引用元:「中村裕」(Wikipedia)
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E8%A3%95_(%E5%8C%BB%E5%B8%AB))

引用元:「太陽を愛したひと~1964 あの日のパラリンピック~」(NHKオンライン)
(https://www.nhk.or.jp/)